わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。

身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。

今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう。

力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。

 

              ――ルカによる福音 1章47-49節

 

アヴェ・マリアの祈り

                 トマス 頭島 光 神父

◆マリアと共に祈る

アヴェ・マリアの祈りは、聖母マリア様についてのお祈りのように思いますが、実はイエス様を中心にしたお祈りです。「アヴェ・マリア、恵みに満ちた方、主はあなたとともにおられます」(ルカ1:28)と祈りますが、ナザレの乙女のところに現れた天使ガブリエルのマリアへの挨拶のことばでした。アヴェは、ルカでは「おめでとう」と訳されている言葉で、古くは「めでたし」と唱えていました。<主があなたと共におられる>。だから「おめでとう」と言われたのです。主は、勿論イエス様のことです。このように、私たちは、いつもマリア様と共にイエス様に祈るのです。 

 

 ◆エリザベト訪問

次に、「あなたは女のうちで祝福され、ご胎内の御子イエスも祝福されています」と祈ります。これはエリザベトの言葉です。エリザベトはマリアの親類で、男の子を身籠っています。マリア様はエリザベトのことを聞いて知っていたので、ユダの山地に急いで出かけ、ザカリアの家に入った時のことでした。マリアの突然の訪問に驚いたエリザベトは、自分のおなかの赤ちゃんが喜び踊ったのを知って、マリアのご胎内の御子に向かって、この挨拶を送ったのです。神の祝福は女の中の女である母マリアより以上に胎内のお子様に集中していることがよくわかります。神の子イエスがマリアを通して肉となった神秘が語られています。

 

◆時が満ちて

そのときが満ちて、救いが始まろうとしています。おとめマリアはそれを知り、み旨のままに生きることを心から素直にお選びになったのです。神の子が人の子となられた受肉の神秘に立ち会われたマリア様は、まさに「幸せな方」です。私たちは、このアヴェ・マリアの祈りを祈るたびに、救いの喜びに満ち溢れるのです。ですから、祈りの後半は、マリア様への取り成しの祈りになっています。「どうか、罪深い私のために、マリア様、ごいっしょにお祈りください」と。マリア様なら、罪深い私のために祈って下さいます。そして、私たちをイエス様の身許に導いて下さることでしょう。

 

◆マリア様の強さ

マリア様の信仰の強さは、群を抜いています。十字架のもとに立つ母マリアの姿は、その信仰の強さを彷彿とさせます。息子イエスが十字架の上で死ぬとき、しっかりとそのお姿を心に留めておられるからです。母マリアの目には涙がありません。ただ痛みに堪える息子イエスをじっと見つめる母だけがそこにいるからです。母マリアの祈りは、ただひたすら「み心が行われますように」とだけ祈ります。マリア様は、ただひたすらイエス様だけをじっと見つめます。そして、その祈りの重心は、ただただ神のみ旨のままに置くお方でした。

 

◆計り知れない恵み

恵み溢れるマリア様は、最も聖なるお方であり、罪も穢れも知らない乙女です。女の中で祝福されたお方です。疑いも、批判も、愚痴も何もないお方。その計り知れないお恵みは、神からの賜物です。マリア様はその豊かな賜物へと私たちを導き、愛する者、信じる者に、そして希望する者に、私たち一人ひとりを変えて下さるイエス様のみもとにお招き下さるお方なのです。