殉教者十字架の聖テレジア・ベネディクタの証しについて

希望の時は、いま

トマス 頭島 光 神父

◆平和を祈る

2024年も半年が過ぎ、うだるような暑さが続いております。 皆様、いかがお過ごしでしょうか。教皇フランシスコ様は、2025年を聖年の年と定め、今年、その準備の祈りの年とされました。テーマは希望の巡礼です。国内では、新型コロナウイルス感染症が「5類感染症」とされ、一年が過ぎましたが、感染者はいまなお増え続けています。世界では戦争、紛争、テロ等によって今もなお、多くの人々が命の危険と隣り合わせです。 その結果、日本と同じ人口の1億2000万の人が、居場所を追われ、難民として不自由な暮らしを余儀なくされているのです。それでも私たちは希望をもって、イエスのみ跡を慕いて歩き続けなければなりません。これらの不安と危険から一刻も早い解決の道が開かれますようにと祈り続けましょう。そして、私たちの心から愛が失われないうちに、特に女性や子供たちが平和で安心して暮らせる日々の生活が一日も早く訪れますように、ともに祈りましょう。

◆聖年に祈る

教皇様は聖年が希望ある、意味のあるステップとなるように信望愛の実践を願っておられます。 聖なる年の巡礼により、バチカンの扉をくぐることで、聖ペトロ、聖パウロに触れ、霊的賜物をいただきます。この聖年の年が恵み豊かで希望に満たされますように祈りましょう。苦しみの中にある人々、悲しみの渦中にある人々、嘆きに打ちひしがれている人々を思い起こし、連帯して祈りましょう。そして誰も見捨てられることなく、必要な援助と恵みがありますように祈りましょう。

◆恵みの時に

イエス様は何を見、何を語られたのでしょう。 イエス様は種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない空の鳥を見て言われました。「あなたがたの天の父は鳥をも養ってくださる」(マタイ6:26)と。 また「目をあげて畑を見よ。 色づいて刈り入れを待っている」(ヨハネ4:35)と。 イエス様のまなざしは、私たちと同じものを見ているのに見方が全く違います。イエス様のこの言葉を聞いて、私たちは勇気付けられ、励まされ、また慰められるのではないでしょうか。世界を見回してみても、希望の欠片も見えませんが、イエス様にとって、この世界はチャンスのとき、チャレンジの時、そしてよき恵みの時なのです。

◆利他の心で生きる

「豊かであったのに貧しくなられた」(II コリ8:9)方こそ、キリストです。 つまり、イエスご自身の持つ豊かさは他者の利のためでした。私たちはどうでしょうか。自分の利益は他者のためにありますか。あの金持ちの青年を思い出してください。彼はイエス様の言葉を聞いて悲しみながら立ち去りました。たくさんの財産を持っていたからです。多くの人が苦しみにあえいでいます。 多くの方々が悲しみに打ちひしがれています。 来年まで待てません。今、できることがあれば、愛の実現のために連帯し、協力することができますよう、ともに祈りを捧げましょう。

殉教者十字架の聖テレジア・ベネディクタの証しについて

三輪神父

 典礼に於いて8月では1日の聖アルフォンソを始め、多くの証聖者、殉教者を祝いますが、任意ではありますが9日に祝う十字架の聖テレサ・ベネディクタ(エディット・シュタイン)という殉教者に注目してみたいと思います。

 

*ナチス・ドイツによる迫害の殉教者

 エディット・シュタインは、1891年10月12日ユダヤ人としてドイツのブレスラウ(現ポーランド・ブロツワフ)で生まれた。この日はユダヤ教の大祝日である贖罪の日であった。彼女は何事にも全身全霊を注ぎ、情熱に燃え立つ女性に成長し、現象学の創始者であるエドムンド・フッサールに師事し、優れた博士論文を発表し、ドイツ哲学界の新進気鋭の哲学者として頭角をあらわすようになった。13歳の時からユダヤ信仰から離れ無神論者を自称していた彼女は、31歳のころ十字架のキリストに出会い、アビラの聖テレジアの『自叙伝』を読んだことがきっかけで、真理を悟り、カトリックの洗礼を受ける。洗礼名はテレジア。ナチスの政策で職を失い42歳でケルンのカルメル会修道院に入会し、1934年テレジア・ベネディクタ・ア・クルーチェ(十字架に祝せられし者)という修道名を受け、カルメル会での修道生活を送りながら、宗教哲学、霊性について多くの著作を執筆した。ナチスの人種政策でユダヤ人への弾圧が始まり、1938年修道会は彼女をオランダに移動させた。1942年7月26日、オランダ司教団がナチスの非人道的行為を非難する教書を公布するも、ナチスは報復として、8月2日にユダヤ人のカトリック信者を強制連行する。エディットと姉のローザもエヒトの修道院から連行される。8月9日、アウシュヴィッツ第二収容所のガス室で殺害される。

 

*エディット・シュタインの証ししたこと

 エディット・シュタインの列福に向けた動きは、当初、ケルンの列福調査委員会は殉教者としての列福を示唆したが、ローマでは英雄的功徳を審査する方向で進んでいた。1983年、ヨハネパウロ二世のもとで、列福・列聖に要する奇跡は各一件に緩和されたが、調査から20年経っても、エディット・シュタインをめぐる奇跡は起こらなかった。1983年、ヘフナー枢機卿は教皇に嘆願書を送り、エディットの死が、オランダ司教館の反ナチス的な教書へのナチスの報復に端を発していることを強調し、殉教者としての列福を求めた(殉教者の場合奇跡の要件は必要ないため)。ローマの審査委員会はこの嘆願を受け入れた。こうしてエディット・シュタインは殉教者に認定され、1987年5月1日、ケルンで列福式が行われた。ところが、列福式の約六週間前の3月20日、アメリカで、ある出来事が起こっていた。それはマサチューセッツ州に住むエマニュエル・チャールズ・マッカーシーと妻マリーの夫婦は、結婚以来初めて子供たちに留守番を任せて旅行に行き、その日、帰宅するところだった。夫婦には12人の子供がいた。家に着くや、二人の年長の子供が走って来て、留守中に2歳のベネディクタの体調が悪化し、病院に担ぎ込まれたことを伝えた。夫婦は、駆け付けた地方病院で、ベネディクタが自宅の薬箱の中のティレノール(解熱剤)を大量に飲み込んだことを知らされた。病状は深刻で、ボストンのマサチュ―セッツ総合病院に移されたが、昏睡状態が続いた。父親のマッカシーは、東方典礼カトリックのメルキト派教会の司祭で

ある。マッカシー家では、子供の名前を、尊敬する聖人や思想家などに因んで名づけていた。ベネディクタという少女は、エディット・シュタインの命日8月9日に生まれたため、その修道名「十字架のテレジア・ベネディクタ」から名前をもらった。医師はさじを投げかけていたが、マッカシー家では、ベネディクタの回復のためにエディット・シュタインが神に執り成してくれるよう、繰り返し祈り求めた。すると3月23日に、ベネディクタは昏睡状態を抜け出し、病状は快方に向かった。やがてローマは、この件について調査を行った。マサチュ―セッツ総合病院の小児胃腸科医師ロナルド・クレイマンが列聖審査の医学班に当時の様子を証言した。クレイマンがユダヤ人だったことは、メディア受けする要素だった。1997年4月、ローマはベネディクタの治癒がエディット・シュタインの執り成しに帰せられる奇跡であると認定した。

 列聖の条件が整い、翌月ヨハネ・パウロ二世が母国ポーランドを訪問する際に、列聖式が執り行われる手はずとなった。しかし、同国のユダヤ人団体から列聖に対する抗議が起こった。そのため、当地での列聖式は中止され、翌1998年10月11日に、バチカンで列聖式が行われた。またユダヤ教からの反応は、批判的な見解だけではなく、稀有な運命を辿ったすばらしい知性の持ち主への称賛の声も少なくなかった。大局的に見れば、ユダヤ教徒にとっても、キリスト教徒にとっても、様々な気づきが与えられた機会だったと言える。教皇フランシスコは、2015年に「キリスト教以外の諸宗教に対する教会の態度についての宣言」の発布五十周年にあたり、次のように語っている。「子の50年の間にキリスト教とユダヤ教の関係が大きく変わったことは、神に感謝すべきことです。無関心と反感が協力関係と善意に変わりました。敵、見知らぬ人から友人、兄弟になったのです(カトリック中央協議会ホームページ)。しかし、2023年10月7日にハマスがイスラエルへ大規模な攻撃を行ったことにより、カトリック教会とユダヤ教の関係は大きく崩れま

した。ガザ地区でのハマスとイスラエルの戦争が終わる兆しはなかなか見えません。この侵攻の犠牲者が増える一方です。十字架の聖テレジア・ベネディクタの取次ぎを求め、ウクライナとロシアとの戦争、そしてハマスとイスラエル軍との紛争が早く終結し平和が訪れますように祈りたいと思います。

【参考文献】「カトリック生活」ドンボスコ社2020年10月号、「教会の聖人たち」池田敏雄編著 サンパウロ、女子パウロ会HP

わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。

身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。

今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう。

力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。

 

              ――ルカによる福音 1章47-49節

 

アヴェ・マリアの祈り

                 トマス 頭島 光 神父

◆マリアと共に祈る

アヴェ・マリアの祈りは、聖母マリア様についてのお祈りのように思いますが、実はイエス様を中心にしたお祈りです。「アヴェ・マリア、恵みに満ちた方、主はあなたとともにおられます」(ルカ1:28)と祈りますが、ナザレの乙女のところに現れた天使ガブリエルのマリアへの挨拶のことばでした。アヴェは、ルカでは「おめでとう」と訳されている言葉で、古くは「めでたし」と唱えていました。<主があなたと共におられる>。だから「おめでとう」と言われたのです。主は、勿論イエス様のことです。このように、私たちは、いつもマリア様と共にイエス様に祈るのです。 

 

 ◆エリザベト訪問

次に、「あなたは女のうちで祝福され、ご胎内の御子イエスも祝福されています」と祈ります。これはエリザベトの言葉です。エリザベトはマリアの親類で、男の子を身籠っています。マリア様はエリザベトのことを聞いて知っていたので、ユダの山地に急いで出かけ、ザカリアの家に入った時のことでした。マリアの突然の訪問に驚いたエリザベトは、自分のおなかの赤ちゃんが喜び踊ったのを知って、マリアのご胎内の御子に向かって、この挨拶を送ったのです。神の祝福は女の中の女である母マリアより以上に胎内のお子様に集中していることがよくわかります。神の子イエスがマリアを通して肉となった神秘が語られています。

 

◆時が満ちて

そのときが満ちて、救いが始まろうとしています。おとめマリアはそれを知り、み旨のままに生きることを心から素直にお選びになったのです。神の子が人の子となられた受肉の神秘に立ち会われたマリア様は、まさに「幸せな方」です。私たちは、このアヴェ・マリアの祈りを祈るたびに、救いの喜びに満ち溢れるのです。ですから、祈りの後半は、マリア様への取り成しの祈りになっています。「どうか、罪深い私のために、マリア様、ごいっしょにお祈りください」と。マリア様なら、罪深い私のために祈って下さいます。そして、私たちをイエス様の身許に導いて下さることでしょう。

 

◆マリア様の強さ

マリア様の信仰の強さは、群を抜いています。十字架のもとに立つ母マリアの姿は、その信仰の強さを彷彿とさせます。息子イエスが十字架の上で死ぬとき、しっかりとそのお姿を心に留めておられるからです。母マリアの目には涙がありません。ただ痛みに堪える息子イエスをじっと見つめる母だけがそこにいるからです。母マリアの祈りは、ただひたすら「み心が行われますように」とだけ祈ります。マリア様は、ただひたすらイエス様だけをじっと見つめます。そして、その祈りの重心は、ただただ神のみ旨のままに置くお方でした。

 

◆計り知れない恵み

恵み溢れるマリア様は、最も聖なるお方であり、罪も穢れも知らない乙女です。女の中で祝福されたお方です。疑いも、批判も、愚痴も何もないお方。その計り知れないお恵みは、神からの賜物です。マリア様はその豊かな賜物へと私たちを導き、愛する者、信じる者に、そして希望する者に、私たち一人ひとりを変えて下さるイエス様のみもとにお招き下さるお方なのです。